活字中毒だった頃のわたしと、わたしが目を逸らせていたもの
わたしは、活字中毒だった時期がある。
幼稚園から小学生の頃。
思い起こしても、なんでこんなに文字に執着していたのか分からない。
ふと、あれって何だか病的だったな…と思って、掘り下げてみることにした。
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わたしの活字中毒症状
- 目に留まるすべての文字を読まないと気が済まない。
- 新聞、雑誌はもちろん、道路の案内標識、ポスター、ビルの看板、食品表示、電子機器のマニュアル、レシピ本、辞書…文字のあるものはすべて「読む対象」。
- すべてにおいて「文字を読むこと」が優先される。
- トイレに行きたくても「あと1ページ!」と読み進めてしまい、ぎりぎりでトイレに駆け込む。眠くても「あと1ページ…」と読み進めてしまい、寝落ちすること多数。
- 思考が発散しがち。
- 本を読んでいて「これなんだ?」と思ったことを調べようと辞書を開くと「あ、こっちの方が面白そう」と辞書に没頭し、ふと辞書から離れると目に留まった新聞の見出しにつられて新聞を読みだす…など。
- 息をするように活字を読む。活字に溺れていると安心する。
- ドラマやアニメなどは本編よりもオープニングとエンディングのスタッフロールを読むことに注力する。
- ありとあらゆる文字を読むことで1日が終わること多数。
- 読むことは好きだけど、書くことは好きじゃない。
- 文字や文章を読んだからといって、読んだことを自分のものにしているとは限らない。
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当時の私
- とにかくおとなしい。
- 家では一人で遊ぶことが多い。
- 友達とも遊ぶっちゃ遊ぶが、声をかけられたら遊ぶ程度。
- 想像するのが好き。
- 性格は真面目かつ頑固。ルールは必ず守らねばならないと思っている。
- 道路を渡る時、車がまったく通らなくても、青信号になるまで渡らないなど。
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考えたこと
- 「活字を読まずにはいられない」ということが、強迫観念や依存症に近い感じがする。
意志に反して頭に浮かんでしまって払いのけられない考えを強迫観念、ある行為をしないでいられないことを強迫行為といいます。
- 思い起こせば当時の私は「友達とは遊びたいが、自分からは声をかけられない」状態だったと思う。
- 友達と遊べない寂しさを、活字を読むことで埋めていたのではないか。
- だから読まずにいられないのではないか(読んでいないと寂しさが蘇るから)。
- 本を読むのは好きだったが、何かからの逃避であった感もある。
- 家庭に居づらさを感じていた。
- 学校でも休み時間は一人でいることが多く、下校時も一人だった。
- 本を読んでいる間は本に没頭するので、余計な考え事をせずに済む。
ここまで書いてみて、私だいぶアレなぼっちだったんだな…ということに気付いたが後の祭りである。とっくに小学生時代は終わってしまった。ちーん。
結果的に、私は心の隙間を活字や本で埋めていたんだな…と思うに至った。実際、ものすごい量の本を読んでいたはずなのだが、ほとんど記憶に残っていない。それは多分、「本を読んで自分のものにする」のではなく「本や活字を読むことで気を紛らわす」のが目的だったからだと思う。
あとは単純に興味が移ろいやすいというか。思考が次から次へと飛んでしまう。活字を追いかけて調べ物をした先で別のこと考えてるなんて日常茶飯事である。これは多分私に発達障害傾向があるからなんじゃないかと思っている(自分でそう思っているだけで診断貰ったわけではないが)。こうなると結果的に活字を追い続けている状態になるが、この時に強迫的な感じはない。ちなみにウェブで何か見てると、いつの間にかブラウザのタブ30個くらい開いてたりするような人間である。
だから私の活字中毒は、寂しさを埋める行為と、興味の移りやすさによる複合型なんだろうな、と思うに至った。だから何だと言われるとそれまでであるが、読んだ本をモノにできていれば今頃もっと違う人生歩んでたんじゃないかな…と歯噛みするほどの人生でもないか。